【第4号】「新潟」視点

東京生まれ、東京育ちの私。

だが、毎年冬になると「新潟」のことを思い出す。

私の社会人生活のスタートは、「新潟」だった。

縁もゆかりもない土地、新潟。

 

今から約20年前。

新入社員研修後の配属発表で、

「栄木さん、新潟支店」

と言われた時は、会場からもどよめきが起きた。

「オマエ、悪さしていたから新潟になったんだ!」という、
東京配属の同期の嘲笑は、まるで私が島流しにでもなるような気分にさせた。

私自身、確かに新潟に良いイメージはなかった。
天候が良くない「どんより」したイメージがあって、
なるべくなら配属になりたくない…と密かに思っていたエリアだった。


             ↑冬の万代橋

会場に迎えに来た新潟の支店長は、寡黙かつ厳しい目つきの方でまるで歓迎ムードがない…。
さらに私の気持ちを「どんより」させた。

この支店長の下で、新潟では一体どんな過酷な労働が待っているのか…。
支店長と一緒に乗った新潟への片道切符は、まるで「護送列車」だった。

東京を出発した時は晴れわたっていた、春うららかな空。
しかし、関越トンネルを抜けると、そこはまさに「雪國」だった…。
さらに私の気持ちは「どんより鉛色の空」になっていった…。

 

 

…それから5年。
転職のため、新潟を離れる時が来た。

お客様でもある学校の先生方は、こんなしがない営業マンのためにわざわざ送別会を開いてくれた。
多くの学校の先生方が、自分との別れを惜しんでくれた。

「こんな未熟者の私が、先生や生徒に一体何ができたとでも言うのだろう?」

新発田(しばた)で最後の送別会を終え、新潟と別れを告げる時が来た。

温かく送り出してくれた先生方。
東京に向かう電車の中、ハンカチで目を覆った。

「新潟を離れることが、こんなにも名残惜しいのか。」

 

それまでは、どちらかというと「ドライ」な人生を歩んできた私。
しかし、新潟の5年間で「人情」「人間味」に触れることができた。

ウェットで温かい新潟の人々は、自分に「人としての心」を取り戻させてくれた。
もし関東にとどまっていたら、自分は「乾燥したままの人間」だったかもしれない。

 

 

新潟を離れてはや15年が経つ。

風の強い日は、「もしかしたら今、新潟では大雪が降っているのかな…」とか、
「今こうして関東が晴れているのも、新潟がせき止めてくれているからなんだな」と、
今でも山の向こうに思いを馳せる。

私にはそんな「新潟視点」が身についた。

今年は記録的な大雪で、新潟に住む方々も大変に違いない。
しかし、新潟の方は「確かに大変だけど、雪がある方が新潟らしくていい」という。

第二の故郷、新潟。
この記事を書いているうちに、なんだか越乃寒梅、麒麟山、八海山、〆張鶴を呑みたくなってきたな。(燗)

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