【第12号】中国訪問記

ーーー 当記事は2012年「えいき通信」で掲載したアーカイブ記事です ーーー

日本人との“感覚の違い”に驚きの連続であった今回の旅。
違いに驚きながらも、違いを知ることで、相手を理解する。
“心の扇”が広がった今回の旅であった。

政治の世界では色々と問題が尽きないが、一人ひとりの行動を見ていると“同じ人間なんだな”と思った。

非難されて良い思いはしないし、褒められたら嬉しい。
何かを妨げられた時の苛立ちなど、日本人も中国人も変わらない。
ただ、その受けたときの感情を“表に出すか、出さないか”の違いなのだと思う。(日本人も中国人も十人十色だが…。)

 

■その1:KYな強さ

中国人は、“KYな強さ”がある。たくましい。

日本人にとって「公共の場」が尊重され、暗黙の了解のある場だとすれば、中国人にとっての公共の場は“サバイバル”だ。
ルールはあってないようなもの。

車はわれ先に進む。“お礼のハザードランプ”はなくとも、「邪魔だ!」のクラクションは日常だ。

茨城の交通マナーがとても良く見えた。

“歩行者優先”らしいが、間違いなく“車が優先”の交通事情。強いものが優先の“弱肉強食”の世界だ。
そこで、歩行者は“信号無視”という自己防衛手段を取る。横断歩道はあってないようなもの。
「青になったら渡ろう、横断歩道を渡りましょう」といったものなら、中国では終日渡れないかもしれない。

地下鉄は、降りる人も乗る人も順番は関係ない。待っていたら人波に呑まれる。
すれ違って肩がぶつかってもお構いなし。自分の思い通りにならなければ、公衆でも大きな声を張り上げる。

観光客の日本人は、「歩く札束」だ。手段や場所を選ばず、手を変え品を変え、ふっかけてくる。
中国人にとって“値切り”はコミュニケーションだ。
まるで値切りを通しての会話を楽しんでいるように見えた。
普段は値切らない私も、帰国後、気づいたら値切っていた。

日本人が中国人を毛嫌いしたって、“そんなの関係ねぇ”

我が道を進む。

引きこもりたかったり、くよくよしたり、嫌われたらどうしよう・・・とか、周りが自分のことを悪く言っているんではないか…と気にする時があったら、あの時の中国人を思い出したい。

中国を見ていると、この“ガツガツ感”は行き過ぎなようにも映る。
一方、日本人の「空気」たるものも行き過ぎかなぁ、とも時々感じる。

でも、「自分の身を守るため」という点では共通しているかもしれない。
中国は「我、先に得る」とすることで我が身を守る。
日本は「損しない」「関知しない」ことで我が身を守る。

中国のようなエネルギッシュな行動力がある一方で、日本人の良さでもある、私心無きいたわりの心で周囲にも気遣う優しさも持ち合わせている。そんな“バランス感覚のある人間”になりたい、と思う今日この頃であった。(完)

 

■その2:行き過ぎた“清潔感”

中国の公衆トイレは、トイレットペーパーがないところが多い。※2012年当時

拭いた紙は、水に流すことができない。なので、隣のごみ箱に捨てる。

時には目を覆いたくなるような紙、そして鼻をつくような臭いが充満する。
その点、日本は今では大体が「ウォッシュレット」。
ウォッシュレットじゃないと用を足せないという、“育ちのいいお子様”が出てきているほどだ。

日本は“潔癖”で溢れているように感じる。
消毒、全自動、空調の利いた部屋…。
自分の手を汚さなくても何でもできてしまう。
寒い思い、暑い思いをしなくても、大体が済ませられてしまう。

そんな“潔癖・ぬくもり”の中で育った若者は、冒頭のトイレの話を聞いて、海外に行きたいと思うだろうか。

日本は居心地がいい。いや、良くなり過ぎてしまったのだろうか…。

最近、海外を志す若者が減っているという。

「海外に行っても清潔でも、快適でもない。日本が一番居心地がいい…。」

そんな日本の“行き過ぎた清潔感”と“海外離れ”は無縁ではないような気がする今日この頃であった。(完)

 

■その3:日本を学ぶ中国人

西安のレストランで、日本語で我々に話しかけてくる中国人の方がいた。

たどたどしいながらも、一生懸命日本語を使う。
漫画の「ワンピース」「トリコ」や邦画「100万粒の涙」などが好きで、日本に興味を持ち、日本語を学んでいるという。

一度も日本に足を踏み入れたことがないが、いずれ行きたいという。
日本語を学んでいることもあってか、日本人と心が通じあう・・というか、「この人は、日本人の“心”を理解しているな」と思った。

その国の言語を学ぶことは、その国の文化を理解することにもつながるのかなぁ、と感じる、今日この頃であった。(完)

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