【第45号】モノサシ

ここ近年「〇〇ハラスメント」という言葉をよく耳にします。
例えば、ワクチン接種していない人に対する差別や偏見の「ワクハラ」。
「ワクチンを接種することが正しい」という「モノサシ」から出る発言です。

「最近の若い者は…」という発言は、古今東西問わず言われていますが、
これも「大人のモノサシ」で見るとそうなる訳です。

人は誰しも「モノサシ」を持っています。
「モノサシ」とは、他人を見るときの判断基準・価値基準です。

例えば、筆者は仕事のパートナーを選ぶときは、
「自ら考える人か」「良識があるか」「責任感はあるか」などのモノサシを持っています。

こうしたモノサシは、経験を重ねていく上で形作られていきました。
ですので、筆者としてはこの基準で人選すれば「大体はハズさない」感覚はあります。

ただ、この「モノサシ」を「絶対に正しい」と思い込むことで、
そうでない相手を許せなくなったり、関係を損ねてしまうこともありました。

「自分のモノサシ」を持っても、
「自分のモノサシは絶対」と思い込むことは良くない…と反省した次第です。

その逆もしかりで、「自分のモノサシが正しい」と思っている人と付き合うのは、
どこか息苦しさを感じます。

だからこそここ近年は、筆者も自分のモノサシを絶対と思わず、
まずは他人のモノサシを想像してみることを心掛けています。
すると、「だからこういう考えにいたったのか」とか「こういう見方もあるんだな」と気づく機会が増えました。

自分が相手の考えを理解しようとすることで、
結果として、その相手も自分の考えに聞く耳を持ってくれることも実感します。

それにしても、ここ近年、ハラスメントが横行しているのはなぜでしょうか。
「ワクハラ」でも感じたのですが、マスコミの「過剰な刷り込み」が一因としてあると思います。
戦時中もしかりですが、メディアによる刷り込みがいつの間にか「常識」となり、
「常識」が「疑いを持つこと」を奪い、画一的なモノの見方にさせます。

また、人間の「生存本能」にもよるところも大きいと感じます。
不安を煽られれば、当然、自分の身を守ろうとします。
すると、「異質な存在」は自分の命をおびやかすものに映ります。
自分中心に考えれば、「異質なものは排除したい」というのが人間です。
だからこそ、人間の持つ攻撃性が「〇〇ハラ」などにつながっていく訳です。

自分のモノサシを大切にしつつ、
時に、自分のモノサシに疑いを持ってみる。

時に、他人のモノサシを想像して、
色んなモノの見方を身に着ける…。

多様性(ダイバーシティ)にも通じた考え方です。

物事の落としどころへ一番の近道は、まず「自分のモノサシ」を引っ込めること。
そうした姿勢には懐の深さが窺え、周囲の信頼も強まる。
結果として、物事がうまく運ぶ。

これは時の総理、田中角栄氏の人間関係の処世術でもあります。

そんな筆者、今は新幹線でコラムを書いています。
赤ん坊の泣き声が収まりません。
ちょっとイライラした自分を自覚しつつも、
赤ん坊のモノサシになってみると、少しイライラが落ち着く気もしました。

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