【第50号】「じゃあ、どうする?」

ここ最近、書店を覗くと、「ひろゆき」こと西村博之さんの本がズラッと並んでいます。
今、ひろゆきさんの考察が、若年世代を中心に受け入れられています。
多くの人が抱く世の中への理不尽な思いを、ひろゆきさんがクールな視点で代弁しているようにも感じます。
「地方創生はない」「日本は衰退する」「無能は何をしても無能」「格差はなくならない」など…
だから、「自分の身を守って、身の丈に合った暮らしをしよう」といった内容のものが多いです。
指摘していることは、論理的でとても説得力があります。

おそらく中には、
「やっぱ、ひろゆきの言う通りだわ」
「どうせ頑張っても意味がない」
「無駄な努力はやめよう」と思う人もいるかもしれません。
すると、ますます活気が失われます。

ただ、ここで終わらないのが私たち人間です。

客観的な評価、ジャッジ、決めつけに対して、

「じゃあ、どうする?」

という「問い」を持ち考えることで、
「意味」が生まれてきます。

例えば、「地方は人口減、高齢化で働き手がいなくなるので、地方創生は残念ながら無理」という評論に対して、
「確かにそうだ」と思って無駄な努力をやめるか、
「じゃあ、どうしよう?」と真剣に考えて、可能性を見出すかによって、
エネルギーも行動も変わってきます。

人間、ナマモノです。

一人ひとりのエネルギーが高まれば、世の中の流れは変わります。
一人ひとりの持つ「意味のパワー」は計り知れません。
不可能を可能にします。

2015年ラグビーW杯で南アフリカを倒した時の、ラグビー日本代表はわかりやすい例です。
今年のプロ野球、オリックス・ヤクルトも下馬評では「リーグ優勝はない」と言われていた訳ですから、本当にどうなるかわかりません。

目の前の現実に対して「じゃあ、どうする?」と考えるところに、
生きる意味が生まれてきます。

結果どうなるかなんて考える必要はありません。

仮に思うような結果が出なかったとして、
周りからは「無駄な努力だった」「やっぱダメだったね」という評価をされたとしても、
目の前のことに意味を見出して取り組んだことそのものが、
本人にとっての生きる上での糧や財産になっていきます。

水泳の池江璃花子さんを見ていて、つくづくそう感じました。


その人自身にとっての「生きる意味」は、

他人からジャッジされるものではありません。
きわめて主観的なもので、絶対的なものです。
だから、自分の人生を他人と比べることはナンセンスです。

仮に、他人からどんなに「君って生きている意味ないよね」と言われても、
自分自身が「生きる意味がある」と心底思っていれば、それが真実になります。
反対に、周囲からどんなに称賛されても、本人が「生きる意味がない」と思えばそれまでです。

さらには、自分に対する否定的な評価や決めつけは、
一見自分を苦しめるように思えますが、むしろ「肥やし」になります。

なぜなら、その評価を受け「じゃあ、どうする?」ということを考えるきっかけになるからです。

世の中を変えてきた人たちは、「不可能を可能」にしてきた人たちです。
それは「才能」だけでは語れません。
逆境や困難な状況を前に、「じゃあ、どうする?」という思考を持って、考え抜いて行動を起こしてきた人たちです。

「自分のアイディアに対して、『何をバカなことを』と言われたら絶好のチャンス。」

そう言ったのは、スティーブ・ジョブズです。

一人ひとりが本来持っている「意味のパワー」
「じゃあ、どうする?」と可能性を見出し、
目の前の現実に意味を見出していけば、世の中活気は戻ってくるはずです。

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