【第49号】苦しみの正体は?

読者のみなさまは、この円を見てどこに目が行きますか?
おそらく「欠けたところ」に目が行ったと思います。
ゲシュタルトの欠けた円という心理学の実験なのですが、
人は「欠けたところに目が行く」という本能を持っています。

「ないものねだり」をすること。
他人の欠点に目が行くこと。
何かが気になり不安になること。
不平不満に思うこと。
際限ない欲求。
危険を回避すること。
あくなき向上心…。

これらはすべて、「欠けたところに目が行く人間の本能」と深く関係しています。

危険や危機(=欠けたところ)を察知するからこそ、それを回避できます。
人間の生存本能とも深く関わっています。

また、人は、自分の欠けたところに目が行くからこそ、改善ができます。
「日進月歩」も人の持つ本能がなせる業(わざ)です。

ただ、欠けたところに目が行く本能はいいことばかりではありません。

例えば人間関係で言えば、人は他人の欠点やできていないところに目が行きがちです。
そして、他人に対してストレスを感じ、自分自身を苦しめることも… 。

また「今日は何もない、平和な一日でした」というニュースは誰も見ないでしょう。
緊急事態・非日常的なことほど、人の注目を集めます。
誰も注目しなければ、マスメディアは成立しません。
だから、注目を引くようなニュースをマスメディアはこぞって取り上げます。

「外見」もしかりです。
本来、人間は存在するだけで生きている意味があります。
健康であるだけでも十分です。
なのに、外見で欠けているところに目が行っては何かと気になってしまうものです。
そこに追い打ちをかけるように、CMが「外見の美しさ」を煽るものですから、
ますます自分の欠けているところに目が行き、現状不満足を生んでしまいます。
これは「外見」に限ったことではなく、学力・能力・収入・地位…ありとあらゆるものに言えます。
私たちが「自分の考え」と思っている「考え」は、実は何者かによって刷り込まれていることは自覚すべきと思います。

欠けたところに目が行く本能は「思考」にも及びます。
私たちは、「未解決なこと」「解消されていないこと」「無いもの」について多くの思考を費やします。
「解決されたこと」「出来たこと」「あるもの」については、意識しないと思考できません。
すでにあるもの、存在しているものに常に思いを馳せることができれば、感謝心が湧いて幸せな気持ちになります。
「幸せ」というものはまさに「足元」にある訳ですが、
無意識でいると「無いもの」を思考し不幸な気分になり、自縄自縛に陥ってしまいます。

とはいえ、
「感謝心ばかりでいると、現状維持に甘んじてしまいそう」
そんな声も聞こえそうです。

筆者がここで言いたいのは、
「欠けているところに目が行くのがダメで、あるものに目が行くのがいい。」ということではありません。

「無いものを獲得する」ことが生きる原動力になるのであれば、それに向けて邁進し、
「欠けたとろに執着するあまり苦しむ」ようであれば、それを手離してあるものに目を向けてみる。

こうして心のバランスを取るこで、より「生」が充実してくるはずです。

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